「たーんとお上がり」は令和では禁忌事項!
2023.02.06
繁盛するデカ盛り店、肝っ玉母ちゃんがよそってくれる大盛ご飯とアブラギッシュでカロリーたっぷりなおかずの数々、富士山盛りの称号通りに崩れるほど盛られたそば・・・・。そこまで大げさではないにせよ、男性が通う店に良くある大盛無料の紙。なぜか並み、大盛、特盛が値段の変わらないラーメン屋。
日本には大盛があふれています。それ自体、決して悪いことではなく、健康でたくさん食べたい人は食べればいいと思うんです。でもだからといって、病気になるほど食べるのはNG。その人の人生の観点からも、そして膨大な社会保障費を払く国策的にも、フードロス問題の観点からも、じつはこの大盛文化っていろいろ見直すポイントがあるんです。
その大盛文化を支えるのが、じつはこの「たーんとお上がり」に他ならないのです。
日本は悲惨な戦争体験のなか、国民全体が極端な栄養失調になるような時期を通過してきました。それを経由したおばあちゃん、その子供であるお母さんたちは、子どもや家族に大盛のご飯を食べさせてこそ! という気持ちを半ば義務感のように感じ、台所を担ってきたのだと思います。
「もうおなかいっぱい!」 と笑う子供をみて、自身の幸せを感じることもあるでしょう
しかし時は令和、飽食の時代
人工透析患者は増え続け、その方々に一人当たり月100万の税金が投入されている時代です
幼少期の食餌習慣は大人になっても続きます
今こそ腹八分目の教育をする時期になってきているのです
「俺の酒が飲めないのか!」と「たーんとおあがり」の類似性
↑の見出し、ちょっと極端なのはよくわかっています。意図も意味も本来は全然違う話なのですが、他者に飲食をうながすという点では、同じくくりになるこの言葉。
促される側の事情によっては、ほとんど意味と意図が同じ言葉にもなってしま言えるのです。
大事なポイントは、もはや飲食、物品を促す、渡すという行為が、強要する、押し付けるという行為になってしまうのです。
昭和世代の女性はとくに、相互扶助の考え方が根強く、おすそ分け文化が根付いています。著者のお隣にも一まわり上の夫婦が住んでいて、仲良くさせてもらっていますが、時おり、????と思うようなものを渡されます。試供品のコーヒーだったり、自分たちではまず買わないようなお煎餅だったり。
ちょっとおすそ分けという気持ちで、渡していただき、ありがたくも思うのですが、必要かと言われるとそうではないものばかり。まして、血糖値が気になる私は、むやみにお煎餅など食べるわけにもいきません。
過ぎたおすそ分け文化、大盛文化はもはや、「俺の酒が飲めないのか」と同じとまでは言わないまでも、他者の事情を考慮しない文化ともいえるのです。
自分たちが子供のころは、遊んだ先の家で、いろいろなお菓子をいただいたりしたと思います。でも昨今、相手の子供のアレルギーなどを把握しているケースを除き、ほとんど家で、お菓子をあげたりもらったりすることはないでしょう。
これが令和のトレンドであり、ちょっと寂しくもありますが、正しい姿なのです。隔絶の時代というと、壁があるイメージしかわきませんが、相手を尊重した正しく適切な距離感の時代こそが令和なのです。
大盛無料から、だいぶ話がそれましたが(笑)、この令和にある正しい距離感は、お隣さんとの関係でも、学校のママ友の間でも、そして職場の飲み会においても、押さえておいてよいポイントなのではと思っております。
そんなトレンドが、糖尿病削減、社会保障費用の削減にもつながったりするのかも・・・?
この記事を書いた人
(NCL)高橋健
株式会社コミュニケーションズ・イン 代表取締役。雑誌編集、書籍編集から社内報編集者に転身し18年社内報を作り続ける。「読まれない社内報はゴミを刷ってるのと同じ!」という過激なポリシーのもの、徹底した読者目線重視の社内報制作を提案・実践し、一部の企業社内報担当からは面白がられ、一部の企業社内報担当からは煙たがられる。社内コミュニケーション改善にも乗り出し、研修、SNS戦略提案と運用にも乗り出している。「役に立とうとしている会社と人の役に立ちたい!」がモットー。